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RUSH〜プライドと友情

なんでいまさら〜なんて言う方もいらっしゃるかもしれませんが、いや〜FANとしては正直嬉しい話というか、2〜3歳差で1976F-1グランプリ・イン・ジャパンを見逃した私にとっては、当時を追体験できるとてもありがたい映画ってトコロでしょうか。

どういうことかと言うと、当時小学5年生で親も車には興味のない家庭で、富士スピードウェイまでF-1を見に行くなんて有り得ない話。数年経って、中学2年生の頃は、一人で富士スピードウェイまでレース見に行ってましたから、2〜3年早く生まれていたら、この世紀の一瞬を生で見ていたかもしれません。

そんな思いがあるからかどうか分かりませんが、予告編見ただけで泣けてきてしまいました。

まあ〜脚色なんでしょうけど、ジェームス・ハントがニキ・ラウダに「事故ったのは俺のせいだ」といったのに対して「そうかもな、でもここへ戻ってきたのも君のせいだ」のセリフには痺れましたねぇ〜。こういう展開に弱い。

脚色は良しとして、ニキ・ラウダの俳優さんは声もしゃべり方もホントにそっくりだったんですが、「ここへ戻ってきたのも君のせいだ」とはニキは(心で思っていても)言わなかったんじゃないかなぁ。

F-1ドライバーってものすごく孤独なんですよ。マシンを作る人が居て、レース場で車を調整するメカニックもいる、ケータリング、運搬トラックの運転手とか、マネジメントスタッフなど今では数百人の人が関わっていますが、F-1ドライバーってのは運転している時は一人で全てを行うしかないわけで、そういう技術を持っているのは世界に自分一人しか居ないと信じきっている人なんです。そういう技術には事故らないってのが入ります。その割には、事故多いじゃんと思う方多いと思いますが、F-1ドライバーの皆さんは絶対に事故らない自信が有り得ないくらい過剰にあります。そうでないと、あのスピードであの車を運転は怖くて出来ません。死んでも怖くない度胸があるわけではなく、死なない自信過剰が常人を超越しているわけです。でも、ミスは皆無ではありません。ミスを誘発する原因がなんであったか分析できれば、その分自信過剰がより過剰になるだけです。

ニキ・ラウダはコンピュータとの異名を取るくらい正確無比で、その知識と頭脳に裏打ちされた自信過剰の塊であったわけですが、それでも事故ってしまいます。ハントは、その時、世界で最も危険だと言われたサーキットで雨のレースを止めようというラウダの主張に対して強行しようと主張したと映画ではなっています。ハントは強行したが為にラウダは事故ったと考えて冒頭の発言になるのですが、ラウダは事故ったのは自己責任だと、そもそも自信がなかったら走らなかったと言うわけです。(その発想の現れがF-1GPinJAPANなわけです。・2周でレース放棄)

そもそもそのラウダの発想はごく当たり前の事で、よりF-1ドライバーらしい考えと言えます。ハントはそれに対して普通の人の発想です。1976年のチャンピオンシップで圧倒的リードを持っていたラウダですが、事故以降復帰しないと残りの試合回数からしてもチャンピオンは取れない可能性は多分にあったわけで、ハントが勝利を重ねてポイントを積み上げたこと自体は復帰の理由と言うより、復帰の時期をちょっと早めたくらいの要因じゃないかと思います。

ハントが冒頭の発言をしたとしてもラウダは「そんな事でセンチになっているようじゃぁまだまだだぞ」くらい思ったんじゃないかと想像します。

他人のせいで事故ることはない。例えば、急に何かが飛び出てきたりして避けようのない場面でも、冷静に対処して、車を当たらない方向へ導く。車が壊れる前に車の異常を察知して止める。それが出来ないと死ぬかもしれない。(つまり、コクピットに座れば全てを自分のコントロール下に置いて他人に自分の生死を左右されることはない)

絶体絶命のピンチでも一人で全て解決しなければならない、それも瞬時に。孤独ですよ。

そんな気持ちがあのセリフでガーンと伝わってキュンときちゃったんですかネ。

右がニキ・ラウダで、左がジェームス・ハント。当時のマシンが走っているシーンだけで感動モンです。

さすが、ロン・ハワード監督です。

実際のお二人。

F-1inJAPANは見逃しましたが、彼らが現役時代にF-1ファンになったこと、コレ以上の幸せはありませんな。

更新日時 : 2014年03月08日 | この記事へのリンク : 

記憶に残るF-1マシン シャドウ DN8 

ロン・ハワード監督の映画「RUSH」が来年2月ロードショーってNEWSが聞こえてきましたが(アメリカでは明日公開)、その1976年にデビューしたのが日本でもお馴染みのドン・ニコルズさん率いるシャドウのDN8です。

デビュー戦予選3位、決勝4位と華々しく活躍したものの大型スポンサーUOPが前年で援助打ち切りで資金不足に陥ったのとデザイナーのトニー・サウスゲートの離脱で以後成績不振をかこったんですが、思い出すのは、翌1977年の悲劇と栄光ですな。

この写真はかのオート・スポーツそのままですが、この表紙が何を物語っているかは知っている人ならば、(この表紙がなんのコメントもなく掲載レースを小さく載せているが如く)なんの言葉も必要としないで理解できるかと思います。

レーサーと死は常に隣りあわせと言うのは周知の事実としても、この表紙のレースでの悲劇は理不尽を思わざるを得ません。

DN8と言えばこの悲劇を避けて通る事は出来ないのですが、その点をクロ-ズアップしたいわけではなく、1シーズン2台体制でドライバーが計7人もこの車を操ったって話。

シャドウ・チームは1977年初頭は昨年デビューの車をそのまま走らせていたんですが、第3戦からサイドポンツーンを変更した改良型を登場させたもののエースのトム・プライスが事故死。チームメイトのレンツォ・ゾルジがそのショックを引きずって引退と悲劇に見舞われます。

そこで、F−1シートからあぶれていた有力ドライバーのアラン・ジョーンズをリクルート。第6戦のモナコからは新鋭リカルド・パトレーセをデビューさせた。

マシンはサイド・ポンツーンを再度改良し、フロントにオイルクーラーを配置した再改良型を投入。

ここまでを確認の写真。

まづは、R.ゾルジの改良型

次にA.ジョーンズの再改良型。

車重と重量配分において、再改良型の方が良さそう。改良型はスカートもついているので、グランド・エフェクトを意識しているように見えるが、最改良しているトコロを見ると真似だけで、仕組みを理解が足らなかったかと。

で、これで話が終わったら、なんも面白くないのですが、かのパトレーゼさん、実はまだ大学に籍を置いている上にF−2などにもエントリーしているので、F−1を欠席?することもしばしばで、代役が登場と相成ります。

こちらは、ジャッキー・オリバーさん。古参のドライバーですが、その昔、シャドウに在籍して活躍した方です。

今に例えるとザウバーに久しぶりにハイドフェルトが乗るようなモンです。

こちらは、J.P.ジャリエさん。昨年まで在籍していました。速さには定評がある人です。現在だと可夢偉が復帰するようなモンです。

こちらはA.メルツァリオさん。かのフェラーリでワークス・ドライバーだった方です。F−1史上もっともフェラーリがどん底の時のドライバーでもちろん未勝利です。いろんな意味で記憶に残る人なんで、今で言うとアレジくらいにはしたいんですが、成績だとイタリアンって事もあってN.ラリーニあたりでしょうか。小さい方で、座高低いのにポジション上げずに乗っているので正面から見るとヘルメットの位置がずいぶん低いのが特徴なのですが、このミニカーはその点良く出来ています。

ってな具合に7人も乗ってます。結局、アラン以外は話にならなかったんですが、ナントそのアランがチーム史上唯一の勝利をこの年のオーストリーGPであげています。

最近はそんなドラマチックな話ないですよねぇ〜。

開幕時点でシートが無いのに、途中で乗る事になって、そのチームに初優勝をもたらすなんてね。

その後、アランさんは、かの有名なウィリアムズ(この時は、得体の知れないC級チーム。今で言うとマルシャか)に移籍して、3年後には世界チャンピオンですよ。

また、かのパトレーゼさんもF−1出走回数256回(歴代2位)、優勝6回と大成します。

これからの人と斜陽がかった人が交錯してるなぁと思いますが、無くなったプライスさんが生きていれば、どうなったんだろうと、その方が気になります。(ノンチャンピオン戦のF−1では優勝しています。)

更新日時 : 2013年09月19日 | この記事へのリンク : 

記憶に残るF-1マシン 3 Tyrrell 006

いわゆる”速い車は美しい”と言った定説を覆した”史上最も醜いチャンピオンマシン”。

と、言われてますが、個人的にはそれほど醜いとは思いません。もちろん大好きなマシンの一つであります。無論、ジャッキーとフランソワの最後のマシンと言った感情論はありますが、それを抜きにしてもチャンピオンマシンなりの風格を備えた傑作ではないかと思います。

まあ〜醜いと言われたシルエットはコレでしょうなぁ。

ここまでウエッジシェイプにしたんだからフロントもウイングノーズにすればよかったのに、と思いますが、そうするとロータス72と区別がつかなくなるんではないかと。

このカットを見るとよく分かりますが、細かいトコロは除いてフロントタイヤより後ろは基本、ロータス72とよく似ています。タダ決定的に違うのは実はフロントにはなくて、ショートホイールベースってトコロです。だからカッコ悪いんだ!と納得のポイントですが、ロータス72がロングだったにもかかわらず、同様の速さだったので、どっちが良いか悪いかにはならないんですが、そんな所も現代共通なんだなあと感じますね。要はバランスなんだってことですよね。

それと人と同じことしていては相手より速いマシンは出来ないって言うプライドというか、マシンの許容範囲が広く、個性の時代70年代を強く感じるフロントノーズだったりします。そんなトコロが好きな要因なんでしょうね。

因みに上記カットはモナコだと写真の出処に書いてましたが、ジャンピングスポットあったっけ?キャッチネットあったけ?って事でモンジュイックではないかと推測しております。

更新日時 : 2012年12月23日 | この記事へのリンク : 

2012F-1GP総括

え〜やっと今シーズン終了ってことで、終わってみればやはり”あの人”かぁ〜と面白かったのか、どうか分からないシーズンではないかと思います。

というか、マカオが終わってからのF-1GP最終戦というのが馴染まない。個人的にはまだやってたんだと思わざるを得ません。試合数が多すぎませんか?。優勝と2位のポイント差が少なくて、試合数が多いと優勝の重みが薄れて如何なものかと。特に今シーズンの前半に優勝者が多数輩出されたものの結局チャンピオン争いは2人に早い段階で絞られてしまい、結果1〜2勝で終わった人達は、全くチャンピオン争いに絡まいないもんで、「ホントに優勝したんかいな」という印象に終わってますわな。つまり感覚的には3勝ぐらいしないと活躍したと思えない。前半だけで言うと最終的に5人くらいはチャンピオン争いするんじゃなかと思わせといて、結果がコレ(早い段階で2人になって、最終的にはまた”同じ人”)ってのが”つまらない”って印象を呼び起こしたかと。結局ピレリが混乱させただけで、昨年と何も変わってないじゃないか、と思ってしまう。

個人的には、ライコネン復帰が大変面白かった。さすがチャンピオン経験者。来年の活躍が大いに期待できます。

それと後半のマッサの復活も良かったですね。チャンピオンマテルアルだとは思いませんが、速さはあるのでアロンソに振り回させることなく実力を発揮できれば、シーンは必ず面白くなるかと思います。同じブラジルの大先輩バリチェロのしぶとさをよく学んでほしい。

可夢偉の解雇は本ブログの予想通りでしたが、日本GPでの活躍は圧巻でした。

この実力を持って解雇されるのがF−1ですから、そこのところよく理解が出来てないとF−1観戦は辛いかもしれません。どう理解しているか分かりませんが、可夢偉の募金が1億円超えたそうです。この短期に凄いこと(それだけF−1ファンが居るということ、そのファンがそれだけの資金力があること・・・もしかしたら世界でも稀有な国かも。しかし協賛する企業が皆無・・・F−1開催国でこれも稀有なことだと思う。)だと思います。これでレギュラー取れなかったらどうすんだろうなんて余計な心配をしてしまいますが、本人は大変なプレッシャーかと思います。とても普通の人間には耐えられないプレッシャーですよね。このタフさ加減が想像を超えています。(マッサにコレがあったらチャンピオン取れていたかも)継続は力なりですんで、その後のステップアップを期待して”残れる”事を祈っております。

あと言及するとしたらバトンでしょうか。雨に翻弄される展開には滅法強い彼が前半失速したのが痛かったですね。アロンソレベルの”しぶとさ”があったら3強で最終戦までいけたんではないでしょうか。あの雨のマレーシアは勝つべきでした。それに対してアロンソのスパと鈴鹿のぶつけられた展開はほぼ自己責任ないケース。

あまりにも不運というえば不運ですが、アレがなければチャンピオン争いはもっと面白かったでしょう。

来年は5つ巴は要りませんから、3つ巴くらいにはして欲しいもんです。

更新日時 : 2012年12月02日 | この記事へのリンク : 

記憶に残るF-1マシン その2 BRM P160B

さてさて、今回はBRM P160Bって事で、なんでまた通なクルマをと思いの方、趣味が合いますなぁ。

カッコイイのかカッコ悪いのか微妙なトコロがコレまた好きなんですが、(格好で言えばP160の方がスッキリしていてヤードレーカラーとのマッチングも決まっていてGoodです。)それでいてそこそこ速いってのが良いですな。(160シリーズはグランプリ計4勝)

やはり70年代F-1マシンは個性的で何年経っても色褪せないというか、記憶に残るんですよねぇ。

この車の特徴としては、サイドが燃料タンク、フロントオイルクーラー、リヤエンドにラジエターの配置でしょうか。実車見ないとわかりませんよねぇ。

これは、雨のモナコ仕様なのでタイヤがレインなのはご愛嬌として、全体的フォルムは海洋生物(例えばマンタとか)っぽくありませんか。空力をグランドエフェクトに向ける前は空気抵抗をいかに減らすかに普請していたので魚っぽくなるのは必然といえます。

とは言え、ダウンフォースも必要ですからでかいウイングがありますし、その下のラジエター(タコ口みたいなダクトはラジエターに送るエアのインダクションボックスです。)と空気抵抗物もいっぱいです。

爺っぽい言い方をすると「若い奴にはこの良さはわかるメェ」って事になりますが、形通りの”スルメイカ・・・三角頭じゃないですよ、胴体ですよ”振り(味のあるってこと)は他の追随を許しません(個人的にですが)。

それとアアタ(貴方)、自社エンジンですよ。この年は、自社エンジン使っているのは他にフェラーリとマトラぐらいですよ。(テクノってのがいましたが、予選通過もままらないシロモノであえて除外)。現代だって、フェラーリとメルセデスぐらいでしょう。

極めつけは、ドライバー・ラインナップ。

このクルマで自身唯一のGP優勝を遂げたのが、J-Pベルトワーズ。長い間フランスのエースとしてF-1やスポーツカーレースに活躍していたがF-1ではジャッキー・スチワートの影に隠れ(今で言うとアロンソの影に隠れた誰かさん)未勝利だったのが、雨のモナコでブッチギリの感動的な勝利を飾ったのがこのクルマで、彼自身の唯一の勝利でしたが、BRMとしてはGP17勝のウチの最後の勝利ということになります。この年は、この優勝のみが唯一の入賞!(この落差も最高にウケる)。

(信じられないでしょうけど、モナコのヘアピン立ち上がりです。)

天才との呼び声も高かったのがヘルムート・マルコ。ルマン24時間レースので優勝もさることながら、F-1でのデビュー2年目でベルトワーズを凌ぐ速さを見せたものの、フランスGPで”小石”がバイザーを貫通して失明(に近い視力低下)。現在、かのRBRのアドバイザーと言えば誰でもわかるあの人です。翌年、同じオーストリア人のニキ・ラウダがBRM入りしてフェラーリへのステップ・アップを果たしたのと対照的ではある。

P160シリーズで言えば、この人も自身唯一のGP勝利を歴史に残る1位から5位までが0.61秒差のイタリアGPのウィナー、ピーター・ゲシン。160Bにも搭乗して6位一回のポイント1点でシーズンを終えています。昨年永眠。

とにかく興味深い論点の多いBRM P160Bであります。

更新日時 : 2012年10月20日 | この記事へのリンク : 

可夢偉表彰台おめでとう!

え〜何と言うか、ホッとしたと言うか。

TV見てて壊れんなよ〜って人事なのに”ハラハラ”してしまった。

正直、表彰台取れるとしたら鈴鹿だろうなぁとも思ってましたが、ダメだったらショックも大きいのでフリー走行から予選まで情報シャットアウトしていました。しかし友人が予選3位とメールくれたのでTV見ることにしました。

あとで知ったのですが、フリー走行13位からの予選3位ですから綱渡りですよねぇ〜。もっとドキドキしたかもしれないので情報シャットアウトは正解だったかな。

それにしてもフリーからのジャンプアップは”そんなにもクルマが違ったんだ!”と驚かざるを得ません。今時のクルマはこんなにも繊細なんですねぇ。

今回の鈴鹿だけ見ると、なんでペレスがマクラーレン?と正直思いますが、運なんでしょうなぁ。まあ〜それを言ってしまうと、今回の可夢偉の3位もバトンの降格が無ければ分からなかったしねぇ。ウエーバーの接触もしかり。

とは言え奇を衒わず、ガチンコ勝負で表彰台は可夢偉のなせる技であり、全く凄いとしか言えません。もちろん、今シーズンの可夢偉の戦い方は2位や3位狙いではなく優勝狙いであり、(それで)これまでの経緯があるので、鈴鹿での結果は当然、必然だったかもしれませんが、今回のレースの流れを見ているとその不屈の精神に感嘆するばかりです。ペレスの表彰台より遥かに感動ですな。

これからも可夢偉の戦い方は変わらないと思うので今シーズンの残りも表彰台は無いんじゃないかと思います。

惜しむらくは、ペレスのマクラーレン入りを見ても言えていることですが、下位チームに3年居てはトップチーム入りは無いと言う事です。

つまり、フロックではなくて実力で表彰台ゲットした事で、日本人F1ドライバーの結果としては一つステップアップしたわけです。その上は優勝しかない。それにはトップチームにはいるか、ベッテル並の実力をつけるしかないわけです。ということで、それは不可能なので、可夢偉の役割としては、ここまでじゃないかと思うんです。

それ以上、可夢偉に期待するのは酷だと思います。

まずはメデタシメデタシですね。

更新日時 : 2012年10月11日 | この記事へのリンク : 

記憶に残るF-1マシン〜ヘスケス308B

さてさて、記憶に残るF-1マシン。第一回はヘスケス308Bです。このマシンはたった一回ですが、このチーム唯一の勝利をあげたグランプリウィナーカーであります。

レーサーはかのジェームス・ハント。レース王国イギリスの大いなる期待を一身に受けていた新鋭。プレッシャーなど、どこ吹く風って感じで意に介さない大胆不敵な野郎。

おおっと脱線、クルマの話でした。

アレクサンダー・ヘスケス卿と言うお金持ちさんが、作ったプライベート・チームがヘスケス・レーシング。初年度は”市販車”マーチを買って参戦して、翌年からオリジナルマシン第一号308を作成して、翌々年にこのクルマを作ってで優勝と順調なサクセスストーリーですなぁ。

デザイナーはかのポッスルスウエイト博士。彼がF-1の世界に名前を轟かすことに成るクルマってことでもあります。

当時は今では”当たり前”のウイング・ノーズと今では”誰も知らない”スポーツカー・ノーズ(代表車は以前本ブログ「記憶に残るドライバー:ブランビラ」の回で取り上げたマーチ751)が混在しておりまして、このヘスケス308Bはスポーツカー・ノーズ+フロントイウングという画期的なアイディアを具現化したマシン。

いや〜70年代ですなぁ。このショットはまさに唯一の優勝をとげたオランダGPの時かと思いますが、背の高いインダクションボックス、フロントタイヤへの空気抵抗を減らすせり上がりフロントノーズ、馬鹿でかいリヤタイア、弾丸ミラーなど懐かしいねぇ。

1975年はシーズン中盤からかのニキ・ラウダがGPを席巻しており、そんな時に見事ストップ・ザ・ラウダを果たしたのが308Bとハントなんですねぇ。このレースも2位は数秒差でラウダですから。まあ〜最強横綱を倒した小結ってところでしょうか。

この308Bは以後、優勝は無くても表彰台の常連でこの年のチーム順位は4位と参戦3年目のチームとは思えない活躍をしたのですが、アレクサンダーさんのお金が無くなってシーズン終了後1月もしないうちにグランプリ撤退表明!。さてさて、乗るクルマが無くなってしまったハント君ですが、その後マクラーレンから声がかかり、翌年1976年は、ラウダとの死闘を制してなんとワールド・チャンピオンになってしまうから人生分かりません。

なんともドラマチックというか、アレクサンダーさんが「や~メタ!」って言ったから翌年のラウダVSハント対決が実現したんですからねぇ。この対決、来年には映画化だそうですよ「Rush」(監督ロン・ハワード)

http://www.rushmovie.com/   ←こちらです。

さてさて、チームは、他のスタッフにより3年ほど延命しますが、ノーポイント。もちろん、ポッスルスウエイト博士もそんな場所で才能を埋もれさすわけには行かないので”ウルフ”に移籍してかの名車WR-1を制作します。個人的にはWR-1大好きなんで、本来ならば第一回はコレでも良かったんですが、どちらが70年代っぽいかというと308Bだし、1勝しかしていないとか話題性は308かと。それに308BとWR-1似てるんですよね〜デザイナーが一緒だから当然ですが〜なのでオリジナルは308Bかなぁと。発展系がWR-1ですな。因みにWR-1発表時はコレ。

更新日時 : 2012年09月29日 | この記事へのリンク : 

記憶に残るレーサー:ヨッヘン・マス

え〜先日に続いて夏休み中のF-1ネタと言うことで、過去の記憶に残るレーサーその2です。

実は前回のブランビラさんと記録上の共通点があります。それもこの二人以外には存在しない共通点です。(詳しくは後で)

70年代Fー1においてこの方も欠かせない顔です。

ブランビラさんもそうですが、F-1で顕著な成績残せなくても他のカテゴリーではチャンピオンに匹敵する活躍をしてまして、ツーリングカー、スポーツカーでは多くの勝利を飾っております。

とは言え、あまたのF-1ドライバーの大半が未勝利(日本人も全て)の中で1勝でもできたらそれはそれで素晴らしいことかと思います。

この方、1975年に最初で最後の優勝をしております。ただ、レースが事故で途中中断して走行距離が半分以下だったので、点数が半分。どこかで聞いた話だなぁと思った方、前回の話をよく覚えてらっしゃる。ブランピラさんも同じなんですねぇ。1975年に生涯唯一のF-1GP優勝を飾るも点数半分。こんな共通点他には居ません。だいたい優勝する実力がある人はたった1勝で終わらないのが普通かと思うんですよ。(もちろん、先ほどのお二人が実力がないと言っては居ませんが)つまり1勝で終わる人って珍しい。それでもって個性派じゃないかと。

70年代に生涯1勝で終わった方を思いだすと

ピーター・ゲシン・・・・1971年イタリヤ〜生涯獲得ポイント11点の内、この時の優勝が9点ですからあとは2点のみってのはいかにも”まぐれ”っぽいですが、この時の記録としてレース平均速度242km/hは以後32年間更新されず、1位と2位の差0.01秒差、1位から5位まで0.6秒差の歴史に残るレースでした。F-5000と言うフォーミュラーレースで活躍、F-1優勝の4年後の日本GP(F-2000で行われた当時の国内最高峰レース)に来日して出場したものの振るわず。昨年亡くなったんですよねぇ〜。プレイ・ボーイとしても有名。この人も記憶に残る個性派ですな。

J.P.ベルトワーズ・・・・1972年モナコ〜60年代から活躍も、色々ありましたてキャリアの下り坂かなって頃の雨のモナコでのぶっちぎりでした。当時のフランス人ドライバーではNo.1かと。スポーツカーレースでも活躍。二輪からの転向でやはり異彩を放つ個性派かと。

F.セベール・・・・1971年アメリカ〜2年後の事故がなければ1勝で終わらなかったはず。未来の世界チャンピオンと言われた。

カルロス・パーチェ・・・・1975年ブラジル〜同じく2年後の事故がなければ・・・。

の他は先の二人にしか居ない。

マスは在籍時代チャンピオンを2度も排出したマクラーレンにいて通算1勝ですから、まあ〜ナンバー・ツーがポジションだったんだろうかと思います。

しかしながら、ラウダの事故で有名な1976年ニュルブルクリンクのレースでは、タイヤの読みがずばり当たってぶっちぎりでトップを走っていたのにラウダが事故って再レースになってしまい、地元での優勝をし損なったとか、惜しいレースがいくつかあったかと思います。

がっしりした体躯は屈強なスポーツマンって感じで、どちらかと言うとなよっとしたドライバーが多いF-1レーサーの中で目立っておりました。

その後の走らないマシン〜アローズ〜でもパトレーセ(F-1通算6勝)といい勝負したり、実力はありそうなのにポカが多いとか。まあ〜F-1に限ったことなんで、ポルシェでのイクスとのコンビ、メルセデスのCカーで活躍など、F-1以外では素晴らしい成果をあげたかと思います。また、かのシューマッハーにメルセデス時代レースのいろはを教えた先生としても有名。

これは唯一の優勝を飾った時のショットです。背の高いインダクションボックスが印象的です。

更新日時 : 2012年08月07日 | この記事へのリンク : 

記憶に残るレーサー:ヴィットリオ・ブランビラ

さてさて、F-1GPも夏休みに入りまして、ネタが無いモンで過去の回想でもしようかと。

今年は、かのジル・ヴィルニューブ大先生がお亡くなりになられて30周年だそうで、書こうと思えばいくらでも書けるんですが、はてさて何から書いて良いものか。

思うに、ジル大先生の話になると、レース界におけるF-1世界チャンピオンの意義って何だろうと思うというか、そのチャンピオンになっていないジル大先生が、あまたの世界チャンピオンよりも今だに多くの人の記憶に残るレーサーであるという事実があまりに重く、またあまりに多いエピソードがどれをとっても面白すぎる訳で、気合が入らないと「やっぱ難しいのう」と成るわけですな。

そこで、その他の人にご登場お願いすることに。

ヴィットリオ・ブランビラさんです。

ゴツイ顔で「モンツァ・ゴリラ」と呼ばれておりましたが、70年代のF-1には欠かせない顔(顔が重要ではなく、走りを含めたキャラクター)かと思います。

言うまでもなく、イタリアンでして、当時はメルツァリオさんとベテラン・イタリアン・コンビで異彩を放っていたかと。

”Bata”と言うイタリアの工具メーカーがバックについてF-1参戦となりましたが、マーチでの活躍が思い出されます。マーチは元々がコンストラクター(所謂生産者ですな。)的発想でF-1の世界に鳴り物入りで登場したチームで、他のチームにも自分たちのマシンを売ると言う特異なキャラを持ち、下位レースのF-2,F-3ではBMWと組んで売ったマシンが大ヒット!とF-1以外では80年代にかけて大成功した製作(コンストラクター)社であります。そのマーチがブランビラさんスポンサー込でチームに迎えたのが1974年。この年、6位入賞の1ポイントだけだったもんで、マーチはF-1GPから撤退。・・・・理由として考えられるのは、下位カテゴリーのF-2,F-3で成功していたので商売に本腰入っちゃったのと、F-1マシンもF-2,F-3の延長だった(生産性が考慮される)。

で、1975年は”bata"がカネ出してプライベート参加。トコロが、コレが良く走っちゃって、PPは取るわ、優勝するわでさあ大変。それが、この方ブランビラさんの活躍だったわけですな。理由としては、1台体制でチームの機動性が高まったとか、基本性能は高いマシンだったとか。(でも、昨年のマシンで基本的な改良は無しでこの結果ですから。なんとものどかな時代)ただ、予選は速くても決勝で最後まで走ることは少なかったかと思います。優勝したレースも豪雨で全走行距離の半分も走っていない。

雨では滅法速いとの評判通りの雨の優勝でしたが、彼の名声を高めたのが、チェッカーフラッグを受けた直後のクラッシュ。なんと嬉しさのあまり両手を上げてハンドル操作を誤ったとか。その後の写真がコレ。

こんな人いませんわ、他に。実に素晴らしい。

その走りは豪快との事で、無骨なマーチとの相性もバッチリだったんでは無いでしょうか。この年、スポーツカーノーズ(フロントにウイングがない。)は少数派。フロントのダウンフォース不足=強アンダーステアで振り回す走りが向いている。

レースキャリアが2輪からで、その後4輪に転向したしたこともあって、この1975年で御年38歳。この年限りでグラハム・ヒルが引退したこともあって、翌年からは最年長F-1ドライバーとなる。

結局、F-1ではこの優勝が最初で最後。この活躍で翌年はワークマーチが復活することに。雨の日本GP(F-1イン・ジャパン)でも活躍(ほぼビリから猛追して1位に並んだけれどスピン)。

1977年からサーティースに移籍して、性能の劣るクルマながらいぶし銀の走りで幾つかの入賞を果たす。

この年の世界スポーツカー選手権ではメルツァリオと共にワークス・アルファロメオのティーポ33でシリーズを席巻(アルファ以外にプロトタイプのメーカー参戦無し、アルファ運動会と呼ばれたが、メルツァリオとの勝負は面白かったらしい。)

翌年は、地元モンツアでのピーターソンの悲劇に巻き込まれ(意識不明の重体)重症を負ってレースから遠ざかるも、アルファロメオのF−1復帰に協力を依頼され尽力する。そのアルファF−1で数レース出走するも結果が出ずに引退。

マシンの性能差が少なかったこの時代、雨が降れば勝てると言われた(事実勝った)個性派は実に印象深いですなぁ。

更新日時 : 2012年08月05日 | この記事へのリンク : 

可夢偉惜しかった・・・でも結果が欲しかった

見ましたよ〜バレンシア。

アロンソの地元優勝は涙モノでしたが、いや〜可夢偉惜しかった。

予選からして、イケるとかなり期待していたんですが、こうなるとは。さらに期待できるシルバーストンでグリッド降格でしょう。次を考えたらマッサとはもっと慎重に行くべきだったんじゃないかなぁ〜。セナもぶつけてくる可能性高いかと思うんだけどねぇ〜。

スタートが良くて、前が潰れなくてもそのまま走って4位だったとしてもペレスの表彰台レースより評価が上がるかと思うんですよ。つまり、運良く運んだレースよりも”横綱相撲”というか、真っ向勝負でそれなりの結果を出せるって事が凄いって、そういったレースが出来たんじゃないかと。

だからちょっと勿体無かったなぁと。なんとか出来たんじゃないかと思うんですよね。ロータスを追い詰める可夢偉を見たかったなぁ。

ただ、トラブルの発端はタイヤ交換にあったわけで、ある意味チームのミス。もうザウバー辞めた方がいいかもねぇ。

更新日時 : 2012年06月26日 | この記事へのリンク : 




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