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富士ワンダーランドフェス行ってました

世界遺産に富士山登録ってのは最近の話ですが、

富士山麓の小山町と言う場所に

日本で最初にF-1レースを開催した富士スピードウェイってのがあります。

昨年が設立50周年ってことで、

フェスティヴァルが開催されましたので行ってきました。

正直、楽し過ぎ♪。

さしずめ巨大な博物館内を展覧物が走るってトコでしょうか。

1km近くあるストレート・エンドなので200km/hは出ているでしょうか。

競争はしていないんですが、

同じ年に競っていたマシン同士だとドッグファイト感がでて

いいですね。

何年か前に「RUSH」って映画が公開されまして、話題なりましたが

その時に取り上げられたのが

日本で初めて開催されたF-1グランプリ。

で、今回展示がそれ関連が多いってことで、これもそう。

なんか後ろの方をアップすると迫力あるんですよね。

なんか、車種あてクイズができそうですな。

もちろんすべての車のストーリーはすべて分かっておりますが、

全部書くスペースと時間が・・・。

ま、百花繚乱って感じで御覧ください。

これでもまだ一部なんですから、

レーシングカーバカにとっては至福の時間でした。

更新日時 : 2017年04月16日 | この記事へのリンク : 

追悼・・・クリス・エイモン

往年の名レーサー、クリス・エイモンさんの訃報が伝わってきました。

8月3日の事だそうです。

自分がF-1に興味を持った時には既にF-1からは引退していた方なので、(1976年のF-1inJapanの前のカナダGPで引退。)

実際の戦いぶりを目にすることはありませんでしたが、その速さに対して優勝が無いことで記憶に残るレーサーでありました。

しかし、個人的には、なんと言ってもあのフォルギエリさんが、「自分が一緒に仕事をしたドライバーの中では、エイモンが一番速かった」と発言していることです。

フォルギエリさんのマシンには

”ニキ・ラウダ”、”ジル・ビルニューヴ”、”ジャッキー・イクス”、”カルロス・ロイテマン”ナドナド、錚々たる面子が乗っているんですよ。

ジルより速いなんて言われたら、そりゃあ凄い!ってなるじゃあ〜りませんか。

事実、F-1では優勝ないですが、ルマン24時間

をはじめとするスポーツカーレースではフォードやフェラーリのワークスマシンで幾度も勝っていますし、

F-1ではポールポジション5回ですよ。記憶に残るレースは1972年のフランスGP。

圧倒的トップを走っていながらパンクでピット・イン”したけど”3位!。

引退した年の1976年のスエーデンGPは予選3位!(記憶に残る限り”エンサイン”で予選3位はこの人だけだろう)。

キャリアの終盤の3〜4年は自らのチームをはじめとする泡末チームを転々としたが、

ミニカー的には収集対象となるものばかりだったりします。

合掌

更新日時 : 2016年08月07日 | この記事へのリンク : 

2016年ルマン24時間レースを見て

2016年、この年のモータースポーツ全般を通じて最も印象に残るであろう写真がコレ。

モータースポーツFANであれば、言わずもがなの写真ですが、

今後、F-1で何が起ころうと、

この写真以上の出来事は起こらないであろうと断言したい。

FIAの会長さんがフランス人だから

言葉柔らか〜く

「F-1のイベントとルマン24時間レースの日程はこれからもバッテングしますよ〜」

と公式に発言しておりましたが、

ルマンと同日に行われたF-1ヨーロッパGPの結果なんて、

既に思い出せないというか、

個人的にはNewsValue無きに等しい。

取り立ててルマンに特化したモータースポーツFANというわけではないんですが、

正直開幕から同じ人が5回か6回続けて勝って、

”ぶつかった”とか”間違えた”とかが目立った話題にしかならない

シリーズ戦のどこが面白いんだろう。

そんなシリーズ戦のたかだか1/20の

歴史もない一試合が、

こんだけ面白かったルマンとバッテングさせて

視聴率が下がっても構いませんと大口叩いているんだから笑える。

Hondaもこんだけ頑張っているのに、

Toyotaに美味しいトコロみんな持ってかれて気の毒ですな。

https://www.youtube.com/watch?v=ZBX3gup8ZcA

今年はインディ500だって劇的幕切れで大盛り上がり。

オーバールコース2戦目のルーキーが優勝ですよ。

F-1ファンの中には、

昨年までF-1に乗っていたロッシだから

「ほれ見ろ、F-1ドライバーの方が腕が上だからすぐ勝てるんだ」

と言う勘違いをされる輩がいるかも知れませんが、

今回のロッシは

その昔インディ・シリーズで活躍したブライアン・ハータさんの

的確な戦略とアドヴァイスがあったんで勝てました。

ギリギリの燃料計算を屈指して

ファイナルラップでは

『クラッチを切って、惰性で走れ!』と指示が飛びました。

ラスト数周はトップなのに周回遅れにバンバン抜かれていました。

ゆっくり走って優勝!ゴール直後に燃料切れでストップです。

燃費ならF-1の方が、

難しいコントロールしているのは知っておりますが、

そんな難しいコントロールを

聴衆に理解することを強いるエンターテイメントって

何なんだろうと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=R7BZrwSLSZE

更新日時 : 2016年07月03日 | この記事へのリンク : 

追悼 片山義美さん

往年のワークスドライバー片山義美さんがなくなりました。

前がサバンナで後ろがカペラ。

ほぼ、ロータリーと共に歩んだレース人生でしたが、F-2にも乗ったし、ポルシェ956もドライブしたりと多彩な名手でした。

自分が特に記憶深いのは、やはり富士GCシリーズでしょうか。

忘れもしない、1979年のGC最終戦、人生で初めて見に行ったレースです。

このレースで片山さんはぶっちぎりで優勝しました。

当時、星野一義さんの大ファンだったんで、富士GCにおいて星野の最大のライバルは片山さんでした。

前年のチャンピオンは星野さんで、選手権2位は片山さんでした。

しかし、この年だけレース順位に対する付与ポイントが変更になり、従来のポイント制だとチャンピオンは片山さんでした。

圧倒的な速さを誇りながら、不運としか言いようのない事がかさなり、結局GCのチャンピオンにはなれませんでした。

当時、最も人気があり、国内最高峰と言われたGCシリーズのチャンピオンに片山さんも高橋国光さんもなっていないというのはその実力からすると無冠の帝王という言葉で終わらせるにはもったいない歴史の綾というか、記憶に残る”事件”って感じです。

さて、その1979年のGCシリーズは車両規定に歴史的な大変革がありました。

ソレまでの2座席レーシングカーのみから単座席レーシングカーの参戦を認めました。

重量配分や同じエンジン搭載のF-2からのシャシー転用などそのメリットは多大で、ほとんどのトップドライバーは初戦から単座席でエントリー。

しかし、シリーズ序盤は初期トラブルの雨あられで、純然たる単座席モノの優勝は第3戦目まで待つことになります。

その第3戦目の片山さんのマシンがコレ。

後ろにライバルの星野さんがいます。

このレースではレースの大半をトップ走行してたのに、給油のピット作業において給油タンクをつけたまま走りだすというトラブルでペナルティを受けて脱落しました。

これは見に行った最終戦。後ろが長谷見さんで、3台目が後にF-1に乗る中嶋悟さんですね。

これ、自分が撮った写真。

リヤカウルが外れているのは珍しいカットかと思いますが、片山さんの写真はこれだけでした。

後ろの赤いマシン、サンダーLMの方が記憶に残るマシンですな。

細身でスラっとした体に昭和の頑固親父な風貌の片山さん。

正に野武士って感じでした。

ご冥福をお祈りします。

更新日時 : 2016年04月10日 | この記事へのリンク : 

ウィークエンド・チャンピオン〜1971モナコGP

9日間も年末年始休暇があっても、消防団や神社の役員、年始の挨拶、子供を遊びに連れてったりと、なんやかんやでゆっくり出来たのは1日くらいでしょうか。

で、その1日にBlu-Rayで見たのがコレ。

F-1ファンなら当然ご存知で、劇場で見た方も多いかと思います。

今から45年も前の映像ですが、とても綺麗な映像にまず驚きます。

続いて、どんなに偉い人が頭下げても絶対に撮らせないんじゃないかと思える程のレースの裏側を惜しげも無く披露してる事に驚愕です。

本作の映画監督(ロマン・ポランスキー氏)がF-1チャンピオンとお友達だそうで、まあ〜有名人同士だからと言ってしまえばソレまでですが、個人的にはこの奇跡の出会いには神にひれ伏して感謝します。

とても華やかなモナコGPは映像的にも綺麗で、本作は華麗なショーとしての一面を鮮やかに映し出すことに成功しておりますが、この映画が伝えてくるトコロは、このチャンピオンがレースの安全に対して大きな影響を及ぼして今日の死人が出ないF-1レースというモノを確立したと、そんな感じがします。

前年のモナコGP優勝者は既に事故で他界、この年2位入賞のヒーロー、ロニー・ピーターソンも7年後F-1レースの事故が元で他界しております。

ま、それはさておき、幾つかの見所というか、F-1ファン歴40年近い私の記憶に残るシーンを紹介。

○雨が苦手なタイレル

晴れの予選でポール・ポジションは取れましたが、雨では大苦戦。13番手くらいのポジションに苦悩するチャンピオン。

この年は、前年のチャンピオンが他界して、他にライバルが少ないシーズンで圧倒的なポイント差でチャンピオンになったジャッキー・スチュワートでしたが、モナコで雨が降ると13位まで落ちるんだから各マシンの戦闘力は拮抗していたんだなぁ〜と。

また、昨年のモナコで2位のジャック・ブラバムさんも引退してたから、この年はライバル不在で是が非でも勝たなければならないプレッシャーをジャッキーさんは、感じていて

「決勝で雨が降ったら終わり」だなんで弱音を吐いているのもビックリ。

結果から見ればライバル不在でしたが、実は厳しい戦いで、シーズンを俯瞰してみると勝手にライバルがコケたって感じです。

○スタートが面白い

スタート合図の旗振りが戦前のGPドライバー”ルイ・シロン”さんなんですが、この時既に70歳を超えておりまして、振り方がヘタでわかりづらかったらしい。

で、F-1ドライバーから不評で旗振り役をこの数年降ろされていたのに、この年は復帰していた。

まあ〜この事実だけでも抱腹絶倒なんですが、

そう言った意味で緊張のスタートシーン、ジャッキーさんはスタート前にちょろっと動いてしまいます。

で、ジャッキーさんどうしたか。

隣のグリッドのジャッキー・イクスさん(フェラーリ)に目配せ。

そこでイクスさんは手を振って”大丈夫”の合図。

いや〜、紳士というか、ドライバー同士の絆の深さというか。

結局、スタートに失敗したのはイクスさんの方。

抜きずらいモナコではスタートで失敗すると失地回復がほぼ無理なんで、スタートでジャッキー・スチュワートの優勝は50%決まったようなものです。

○愛弟子フランソワ・セベールに指導

今のF-1では有り得ないんでしょうが、チャンピオンはチームメイトのフランソワにシフトポイントや走り方を教えるシーンが有ります。

そこに他のドライバーがやってきたら、

スチュワートさん曰く「ライバルが来たから、この話はやめ」。

そんな大事な話をビデオに収めていいの?と思いますが、どんだけこのフィルムは貴重なんだろうと感動です。

チャンピオンの教えを享受出来て、成長著しいフランソワは2年後、F-1の予選の事故で他界します。

色んな意味で70年代は良かったなぁ〜と。

http://weekendofachampion.euro-p.info/

https://www.youtube.com/watch?v=1YBpScRv7ng

全く関係ないですが・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=g4-ux_yd6sc

更新日時 : 2016年01月17日 | この記事へのリンク : 

追悼 ジュール・ビアンキさん

去る7月18日

F-1ドライバーのジュール・ビアンキさんが亡くなりました。

F-1レーサーが決勝レースの事故が原因で亡くなったのは

あのアイルトン・セナ以来かと

かつて隆盛(一時7人ものレギュラードライバーが存在した。)を誇ったフランス期待の星だったのに 誠に残念です。

フェラーリの育成ドライバーとして、順調に行けばフェラーリのレギュラーも夢ではなかった逸材でした。

正にフェラーリに乗っておりますが、テストの時です。

昨年、モナコGPで、奇跡の8位入賞は素晴らしかったです。

上手くイケば、今年にはもう少し上位チームでレースをしていたかもしれません。

しかし、昨年の鈴鹿で大変不幸なアクシデントで意識不明になり先日まで目をさますことはありませんでした。

おじさんのルシアン・ビアンキさんもF-1ドライバーで、同じくモナコGPで3位表彰台にも登っております。さらに同年ルマン24時間レースで優勝と輝かしいキャリアを残しましたが、その翌年、テスト中の事故で亡くなっております。

ご冥福をお祈り致します。

更新日時 : 2015年07月19日 | この記事へのリンク : 

1969 Indy500 Winner

1969年のインディ500マイルレースの優勝者

マリオ・アンドレッティのマシン

後にF-1世界チャンピオンにまでなった、マリオ・アンドレッティの

インディ500唯一の勝利が1969年。

アメリカでは知らない人が居ないほど有名なレーサー一家のアンドレッティ家ですが、インディ500ではこれ1回こっきり。

同じレーサー一家で有名なアンサー家のインディ500合計9勝とは対照的ですが、シリーズ全体の成績ではいい勝負をしており、F-1での優勝はマリオだけであります。

さてさて、そのアンドレッティ一家唯一のインディ500優勝車であるのが このBrawner-Hawkであります。

正直、かっこいいのかそうでないのか微妙な感じですが、 ツッコミポイントと言うか、ミニカーマニア心をくすぐる点満載であります。

フロントアングルだけでも、フロントウイングが左にしか無いとか。

ウイングよりでかいカナードとか。

給油口は何故2箇所有るとか。

上から見ても、リヤタイヤ前の小ウイング、コクピットサイドの空気取り入れ口、センターウィング下の整流板。

リヤビューは、むき出しのターボ機構。

写真ではすぐには分からなかった事もミニカーだと

色々と気がつくというか。

インディなりの流儀を感じる名車であります。

更新日時 : 2015年06月28日 | この記事へのリンク : 

1969ルマン24時間レース〜FordGT-40

え〜今年のル・マン24時間レースは26年ぶりのワークス復帰2年目のポルシェが最多勝メーカーの地位を不動とする17勝目をあげました。

ここ何年もやってきているトヨタが相変わらずのテイタラクというか、F-1までやってきて何を学んだんだろうかと思うんですが・・・・。

まっ、それはイイとして、ポルシェの記念すべきルマンでの初優勝までの長い苦難の道程に立ちはだかった巨大メーカーFordとの最後の対決が繰り広げられた1969年のFordGT-40がコレ。

コレを操ったのが当代随一のと言っても過言ではないジャッキー・イクスさん(2年連続F-1選手権年間2位)。

エピソードの多い1969年ですが、有名なルマン・スタート(コースの両側にマシンとドライバーが分かれて、合図と同時にドライバーがマシンに駆け寄り乗り込んでエンジン始動してスタート)に反対のイクスさんは他のドライバーが走ってる中、歩いてマシンに乗り込むをいう行動に出ました。

https://www.youtube.com/watch?v=g63iM83Nwdc

で、スタート時点ではビリだったのだけれども、24時間後は1位なんで、24時間レースのスタートは先を急いでも意味が無い事を証明した形になりました。(翌年からルマン・スタートは廃止。)

この年、圧倒的な速さで他の追随を許していなかったポルシェですが、相次ぐマシントラブルで残ったマシンとドライバーではイクス操るGT-40とどっこいどっこいの勝負になりました。

レースの後半、耐久レースとは思えない1:1の抜きつ抜かれつの激しいバトルの末にFordがポルシェの初優勝を阻んだその差は130mしかありませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=KG2NJLmthVw

24歳にしてレース巧者のイクスの腕がモノを言ったって感じです。(その後、ルマンで6回優勝・・・しばらくの間世界記録。)

更新日時 : 2015年06月21日 | この記事へのリンク : 

アローエンブレム・グランプリの鷹

これご存知でしたか?。

最近、コレ買いました。

TVの近くに転がしておいたら(作戦通り)子供が見つけまして

「コレ見たい」と。

で、一緒に見ました。

思ったより、よく出来ておりまして、大人の観賞にも耐えるというか。

(放映当時小学生の自分が食い入るように見ていたアニメです。)

パパの趣味を理解してもらう手段として、また、子供とのコミュニケーションを図る道具としても大変優秀な作品です。

既に全44話のウチ14話 まで見ていますが、まだ子供達は飽きていないんですよねぇ〜。

実際のF-1ドライバーが実名で出てくるのが、おじさんには楽しいし、車種や、メカ、ドライヴィングテクニックについて都度解説が入るのが子供には分かりやすいのと、その世界に引き込もうとする製作者の意図が30年以上経た現代の子供にも伝わっているのが素晴らしいです。

コレ音楽も素晴らしく・・・・個人的に好きな宮川泰さん

https://www.youtube.com/watch?v=TL4YZFA4J5k

LP持っていますが、個人的名曲・名唱ですな。

CD出ているんですが、内容が結構違います。

これで、子供達が70年代F-1に興味持ってくれて

そんな昔話で子供と盛り上がれたら楽しなったら楽しいな。

更新日時 : 2015年05月17日 | この記事へのリンク : 

記憶に残るF-1マシン・・・サーティース TS-19

って事で、1970年代をすごく感じさせるフォルムのサーティース TS-19です。

チーム・オーナーのジョン・サーティースさんと言えば、御存知の通り、1964年のF-1チャンピオンであり、2輪の世界チャンピオンも経験している史上唯一の人でもあります。

また、ホンダにF-1の初優勝をもたらしたドライバーとしても有名であります。

そのサーティースさんがF-1チームを持っていたというのは、今では知る人も少ないのかもしれません。

70年代といえば、コスワースDFVのキットカー全盛で、史上最も多くのコンストラクターが乱立したとても面白い時代で、元F-1ドライバーがチームを起こしてエントリーすることが多くありました。

現代も残っているマクラーレンは別格として、当時はサーティースの外にブラバムやヒル、エイモン、と言った元F-1ドライバーのチームが存在しておりました。

サーティースはその中でも活躍した方だと思います。

1977年の”モンツア・ゴリラ”ことヴィットリオ・ヴランヴィッラとのコンビネーションは特に印象深いです。

また、当時流行った(?)スポーツカーノーズF-1最後の車としても記憶に残ります。(ブラバムBT-46はスポーツカーノーズと思っておりません。)

因みにカーナンバー19はTS-19だからではありません。

たまたま。(日本では19と言えば星野一義。)

ウイングカーのロータス78,チャンピオンのフェラーリ、ドライバー選手権2位のウルフ、前年チャンピオンのマクラーレン、6輪で活躍のタイレルなど強豪ひしめく中での戦いはかなりしんどかったかと思います。

それでも数回の入賞(4位あり)は賞賛されるかと。

このマシン自体は、前年デビューで1977年は2年目。当時のマシンのライフは2年は当たり前でした。

前年は日本GPが高原敬武選手が乗って9位とこれまた日本には馴染みの深い車です。

更新日時 : 2015年03月15日 | この記事へのリンク : 




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